〔教会と諸教会〕
2015年10月25日(日)
神が選ばれた人びと、真のキリスト者がいて、その点ですべての教会の中に、教会の一致のたとえ散らされていても目に見える形があります。
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諸教会の多数性は実に明らかに、主の前での私たちの挫折を意味しています。
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教会は挫折する、ただし教会の救い主であって教会の主として教会より偉大である方に対して挫折するということを知っているのが私たちであり、教会はこういう人びとの集まりである、とは違った答えをしないのが、一番よいでしょう。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、567ff。
キリスト教会には今日さまざまな教派があります。お互いに相手の違う点を指摘しつつ自分たちの正しさを主張します。しかしどのような群れにも真のキリスト者がいます。そしてどのような群れもどこか挫折しているところがあることも否めない事実です。
なぜそのようであるのか。それに人間は答えを持っていません。説明する知恵を持っていません。
ですから私たちは自分たちの群れの教会を信じると告白するのではなく、公同の教会、普遍的な教会を信じると告白します。そこに自分たちの教会の挫折が告白されます。それと同時に、自分たちの教会もキリストのからだであることを告白します。
(祈り)
神さま、公同の教会を信じます。