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すべての人びととの交わり

〔教会における交わり〕

2015年10月18日(日)

神の同じ息子であり、その兄弟と姉妹です ― それはすべての者たちがその子らとなることが許されている同じ天の父です。そこでは人びとは皆満足してよいのです。というのはこの賜物の分配に際して不公平も、特権を与えられた者も、不利益を受ける者も存在しないからです。
・・・
あまりに人間的な癖、勝手気ままな行為の何かが、最上の最も清らかな場合にも常に口を挟み、共に作用しているからです。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、555ff。

教会は罪人の集まりです。罪のゆるしを確信した者とその途上にある者の集まりです。罪のゆるしはすべての人のためになされたキリストの十字架と復活によって実現しました。ですからすべての人がゆるしの対象です。しかしそれを味わい知るためには、信仰が必要です。その信仰を求めるところが教会です。

その罪人の集まりである教会においては、さまざまな問題が起こります。問題が起こったからといって、神さまのご支配がないとは言えません。聖霊なる神さまはたしかに教会においてお働きになっておられます。
初代教会において、教会をご自分のからだであると語って下さった主イエスさまが教会のかしらです。さまざまな問題の中にも、神さまを仰ぎ見る信仰がそこにあります。その信仰があるならば、教会はキリストのからだとして、聖霊のお働きなるところとして豊かなところです。

(祈り)
神さま、教会の交わりを祝福してください。


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