創造説と進化論

聖書では、地球が創造されてからいままでおよそ六千年とされていますが、地質学的な調査からは地球の成り立ちはそれよりもはるかに古く、数十億年の昔から、地層が積み重なってきたのではないかということがわかってきたのです。

長谷川英祐、『面白くて眠れなくなる進化論』、PHP,2015年7月6日発行、22頁

聖歌721番「あさひのひかりは」の4節に「みよ、ろくせん年のやみをやぶりて」という歌詞があります。これは「見よ、六千年の闇を破りて」ということで、世界が神さまによって創造されてから六千年後の現在に、暗やみを破って、再臨の時がやってくる」という意味だと思われます。世界は神さまによって創造されてから六千年が経過したという理解がそのもとにあると思います。

2001年に発行された「新聖歌」をみると、この同じ賛美歌の歌詞が「みよ、いくせん年のやみをやぶりて」(新聖歌381番)と変えられました。六千年が幾千年に変えられたのです。

ここには、神さまが世界を創造されてから六千年であるという理解が、聖歌編纂者たちの中でなくなっているということを現わしているのではないかと思います。聖書を神さまの言葉と信じるキリスト教会においては、もはや「地球が創造されてからいままでおよそ六千年」である、ということを信じている人たちは少数派ではないかと思います。

創造説か進化論か、ということが教会でも論じられてきました。教会は創造説に立っているのではありますが、私はそれが科学の世界で言う進化論と対立するものではないと思っています。このような議論を見聞きするたびに私の心の中には、土俵の違うものを無理に対立させているような思いが浮かんできます。

絵画でも音楽でもおおよそ芸術というものにふれるとき、私たちはそこで生物化学的な知識を得ようとはしません。ピカソの絵画を見て、目の位置がおかしいからこれは正しく人間の顔を表現していないので価値がない、とは思いません。私たちは、芸術に触れて、美を感じ、命を、人生を学び味わいます。それと同じように、聖書の中にどうして自然科学の知識を得ようとするのでしょうか。聖書は信仰の書物です。私たちはそこに、命を学び、人生を学ぶのです。

上記の本は、私のような知識のない者にも、分かりやすく進化論が説かれています。現代の進化生物学者に創造説を対立的に書かせることとなった教会の傲慢を深く反省します。

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