〔喜びへの自由〕
2015年10月4日(日)
生命への意志とは、「喜びへの意志」、楽しみと幸いへの意志をも意味しています。
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人はその一切において・・・「楽しく」ありたいのです。
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楽しくありたいと思うのは当然です。
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喜びを寄せつけまいとする人は、はっきり言って素直な人ではありますまい。
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「人々が」喜びと見なし、喜びと呼ぶもの、それはここで明らかに「コンバーター」を通ったものです。つまり、一度は根こそぎ崩して、改めて全く新たにつくりなおしたものです。
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楽しくない人間であろうとすることは、聖書の福音を聞き肝に銘ずる人には許されておらず、明らかに禁じられています。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、533f。
喜んでいなさい、と聖書は私たちに命じます。喜ばないことは、聖書の命令に背くことです。喜べない現実の只中にあって、私たちは喜びの道を選択します。
(祈り)
神さま、喜んでいる者と造り替えてください。