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「神の言葉と祈りとによって聖なるものとされる」。 テモテへの手紙第1 4章5節

〔収穫感謝 ― 神の良き被造物〕

2015年10月3日(土)

私たちが繰り返し奇妙な「自家矛盾」に陥っている
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一方で、私たちは絶えずすべてにおいてまさに神の良き被造物、美しい創造と関わり合っているということであり、その中では唾棄すべきものは何もなく、
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他方で、私たちが出会い私たちを満たすのは、常に神が望まず造りもしなかった「唾棄すべきもの」、まさに闇に過ぎないもの
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私たちが神の良き被造物をこの矛盾のままに感謝の念を持って受け取るということ、私たちの生活が世の中で正しくきちんとしているということ・・・それは自明のことではありません
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この奇跡的なことに至るのは、私たちの人間的な存在が、私たち自身が「神の言葉と祈りによって聖なるものとされる」ことによります
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神と人の間のこの大きな出来事は、それが私たちの生活の中へと生じてくることで、神の言と祈りとによって聖なる者とされます
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キリストは人間と語る真の神であり、神と語る真の人間であられたし、今もそうです
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イエス・キリストにおいて生ずるものが私たちのもとで、傍らで、中で生ずるならば、その時それは私たちの救いであり、涸れることのない「私たちの自由の源」、私たちの従順と感謝を述べる源です。この感謝のうちに私たちはたしかに神の良き被造物と関わり合わなければなりません。

カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、530ff。

キリストに在ることによって、神さまが造られた聖なるものを正しく感謝して受け取ることができます。人間の罪によって聖なるものでなくなってしまったものごとも、神さまの言葉と祈りによって聖なるものとされます。

(祈り)
神さま、すべてのものをイエスさまにあって受け止めることができますように。


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