〔結婚と愛〕
2015年9月21日(月)
イエス・キリストが支配者であられるので、掟は、人にその過ちを本来「自分には異質なもの」と見させ、人を過ちに対し「自立させ責任を負わせ」て、人を過ちに対抗し動員して実際に動かす意味と力を持っています。
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神の恵みの裁きは従って、人が罪を犯す者であるということに妥協して甘んずることは決して許さないでそう。
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神が人の罪を裁くところで、神ご自身が人とその罪の間に歩み入り、人の罪を赦し、その罪をご自分に負われることで、神は人の罪について方面を宣言されます。
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神のあの呼びかけと(怒りの)召喚を聞き取り、それを受け入れ、それを心に骨の髄まで沁み込ませること ― 闘いの叫びを聞き取ることです。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、505f。
神さまの掟の厳しさは十字架において私たちに明らかにされました。
私たちは十字架を見上げて、赦しの恵みと、もう再び罪を犯すことのないように歩む力をいただきます。
(祈り)
神さま、再び罪を犯すことのないように守ってください。