〔同胞としての人間〕
2015年8月28日(金)
人は隣りの同胞その人ではないが、人は隣り人と一緒にいます。「私はあなたではないが、あなたと共にいる。人間性はこの『共に』の現実化である」。
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共にあることがひたすら「自由意思」という性格を帯びます。
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同胞は人に、あなたというものは私というものにその全く他者なる異質性と個別特殊性において属し合っており、従って歓迎されます。
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人間性は、このまさに人間的自由の中に根差し、まさにこの自由において人間から人間へ必要な、共にあることの実現であります。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、464f。
ともにいるお互いには、違いがあります。その違いはとても大切なことです。
その違いによってともにいること。その違いがなくてはならない、お互いがともにいることの意味となるのです。
その時、隷属するのではなく、自由意思によって共にいるということが、また大切なことであるといいます。
共に違いを抱えたまま、その違いによって、そして全くの自由の中で共にいること。
そうして人間性の豊かな「共にいる」ということが実現します。
(祈り)
神さま、違いと自由意思が大切にされる共存を与えてください。