〔同胞としての人間〕
2015年8月24日(月)
出会いにおける存在は、一人の人が他者に向かって、そして他者のために「開かれている」存在です。
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人間と人間の間で今や実際に「見つめ合う瞬間」になる、つまり彼らが互いの目の中を見る、互いを発見し合う大きな、厳かな、比べようもない、見つめ合う瞬間! この瞬間がいわばすべての人間性の根の形成であります。それなくしては一切のこれ以上のものは不可能でしょう。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、458f。
互いの見る、ということ。その瞬間。それが人間性の根であるとバルトは語ります。
一方的に見るということでは、人間性の根がないので、そこには人間性が育たず、花が咲き実がなることもありません。
しかし互いに見るということ、自分自身をオープンにするということが生まれると、そこに人間性が育ちます。
牧師は信徒に、信徒は牧師に、教師は生徒に、生徒は教師に、上司は部下に、部下は上司に、親は子どもに、子どもは親に、一方通行ではなく互いに見ること、を始めるならば、そこに豊か人間性が育ちます。
(祈り)
神さま、あらゆる人間関係に互いに見る信仰を与えてください。