〔教会共同体と市民共同体〕
2015年7月30日(木)
キリスト教会も神の国ではありませんが、それに通じており、それを希望し、それを信じています。教会はイエス・キリストの御名において祈り、この御名をすべての名に勝るものとして宣べ伝えます。キリスト教会はこの点で中立ではなく、それゆえ無力でもありません。
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教会が欲するのは、国家の形態と現実がこの世の移ろいやすさの只中で神の国に向けられて、それから離れずに進む道を示すことであります。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、420f。
教会も国家も神の国ではありません。しかし教会は神の国を指示しています。ですから神の国を指し示すことのない国家に対して責任があります。その責任とは「国家の形態と現実」が神さまの国に向けてしっかりと進む道を示すということです。
その点では、教会は中立ではありません。あるいは中立でいることは許されません。しかし無力でもありません。力強く進む道を示すのです。
(祈り)
神さま、国家が神さまの国に向けて進むべき正しい道を選択することができるように教会を用いてください。