〔教会共同体と市民共同体〕
2015年7月25日(土)
恵みは人を混沌の侵入開始から守り、従って人に時を、すなわち、福音の宣教の時、悔い改めの時、信じる時を与える役をします。
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教会は関与した人々の判断と意欲から自由になって、実際に神の癒しのご計画の摂理というこの定められた奉仕に就いています。
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国家はピラトの顔と性格を身につけることもありえますが、その時も、神から授けられた(ヨハネ19章11節)権能において行動します。
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そこから一つのこと、すなわち無関心を是とする決断、非政治的キリスト教が、確実に締め出されます。教会は自らの使命とはっきりと関わっている命令の事実に対して、決して冷淡に、決して中立的に振る舞うことはできません。それは不従順でしょう。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小槌千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、412f。
聖書の神さまはすべてを統べ治めておられるお方です。
神さまの赦しなしに何をも起こりえません。神さまの忍耐のもとにすべてのことはあるのです。
その神さまの忍耐を忘れないでいましょう。
(祈り)
神さま、為政者たちが神さまを畏れて政治を行うことができますように。