〔神の神性〕
2015年7月2日(木)
神の自由な恵み、神の慈愛の働き・・・自らはその必要のない神は、虚無との対決をためらうことなくご自身の事柄となさって、その中で神は攻撃を自ら行われ、防御を自ら引き受けようとされるからです。神は虚無をご存じです。
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今や神は虚無との対決の重荷と憂いをご自身に負われました。今やまさに神は、聖ならざる被造物の聖なる神であるより、自らの被造物と共に呪われようとされます。今や神はまさに自ら侮辱され辱められようとされます。この苦境にある自らの被造物を放任するよりは、虚無の攻撃に自ら取り組み、その防御を自らのこととなさろうとするからです。今や神はまさにご自分の栄光全体を最も深い辱めの中におきます。今や虚無と自分の被造物の間の対立において、自ら被造物の列に歩み入ります。あたかも神でないかのように、まるで自らも弱い、異論を唱えうる、危険に曝された被造物であるかのように。カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、376f。
結局は人生が死で終わるとするならば、人生は空っぽで虚しいもののように思えます。何をしても無意味です。この虚無をイエスさまはよくご存知で、この虚無にイエスさまは立ち向かってくださり、完全に勝利してくださいました。
虚無の中に生きる人間と同じようになってくださり、完全に勝利してくださいました。人生が空虚なものに思える時も、イエスさまは一番そば近くにいてくださいます。
(祈り)
神さま、どのような時もあなたがともにいてくださる恵みを深く教えてください。