〔ドイツ民主共和国〔旧東ドイツ〕のある牧師への書簡から〕
2015年6月17日(水)
「反キリスト」を私はつまり、当時のトルコ人や教皇の姿より、あるいは現代のヒットラーの姿、あるいは今日の東西の敵対者の姿よりは親切で説得力があるので、本質的に理解し易く、納得できると思いたいのです。
カール・バルト、『カール・バルト一日一章』
小塩節、小鎚千代・訳、日本キリスト教団出版局、2007年9月25日発行、352f。
具体的に目の前にある脅威に対して「反キリスト」のレッテルを張ることだけは避けなければなりません。人間は自分に敵対するかに見えるものを、何とか排斥しようとして、「反キリスト」「魔女」「悪霊」のレッテルを張りたくなるのです。そうして自分はそうではないと安心したいのです。
聖書が語っているのは、この「私」こそ罪人であるということであり、その私のために神がいのちを捨てるほどの愛をもって救い出してくださり、世の終わりまでともにいてくださるという福音です。
(祈り)
神さま、罪人である私を憐れんでください。