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はっきりとした形をとる行為

〔主の道を備えよ〕

2014年12月11日(木)

「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ。すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは、平らにされ、曲ったところはまっすぐに、わるい道はならされ、人はみな神の救いを見るであろう。」(ルカ3:4~6)

キリストは、到来する時、自分で自分の道を切り開くであろう。キリストは「打ち破る者」(ミカ2:13)なのである。キリストの到来は、敵に対する勝利の行進なのである。だが、主の到来によって人間が怒りで打ち倒されてしまうことのないように、むしろ、人々が謙虚に主を待ち望むことができるように、そしてその上で主に出会うことができるように、主の到来に先だって、「主の道を備えよ」という呼びかけがなされるのである。
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人間は心をかたくなにし、反抗や、反逆や、拒絶などをやめようとしないので、キリストの恵みの到来を前にして、門は閉じられたままであり、戸の外に立ってたたく方に対して、戸は開かれないままである。それゆえこの門や戸は、打ち砕かれなければならないのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、609f。

「打ち破る者」(ミカ2:13)。「break through」。ブレーク・スルー。突破する力。イエスさまは、まさにそのようなお方としてこの地に来てくださいました。
天を押し曲げ、闇を破り、この地に来てくださいました。
そのまことの神さまが、今日も私たちと共にいてくださいます。

(祈り)
神さま、あらゆる事態の中で、突破する力をお持ちのイエスさま。あなたの御名を賛美します。


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