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世界を更新させる言語

〔神の愛と教会の務め〕

2014年11月17日(月)

今日、僕たちがキリスト者であるということは、次の二重のあり方の中でのみ可能であろう。すなわち、祈ることと、人々の中で正義を行なうことである。キリスト教の本質に関する一切の思考、言説、組織は、この祈りとこの行為から新しく生まれてこなければならない。
・・・
人間が再び召し出され、神の言葉を語り、そしてそれによって世界が変化と革新を遂げる時については、僕たちは前もって語ることが許されていない。しかしその日が来るのは確実であろう。そしてその時にこそ、新しい言葉が語られるであろう。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、565f。

世界を、隣人を、そして自分自身を新しくする、更新する、変化と確信を遂げさせる新しい言葉。
その新しい言葉を語るように、キリスト者は神さまによって召されています。
その新しい言葉は、祈りとこの世にあって正義を行なうことの中から生まれてきます。
祈りだけでもなく、行為だけでもありません。祈りと行為との二重のあり方の中から生まれてくるのです。
しかしそれは人間の力によって生み出されるものではありません。前もってその時を知ることは人間には許されていません。
神さまの自由の中でその時が備えられています。
私たちは、その時を信じて、祈りと行為に生きて行きましょう。

(祈り)
神さま、祈り、またこの世にあってあなたのみ心を行なう者にならせてください。


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