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キリストに属しつつ、この世に生きる

〔神の愛と教会の務め〕

2014年11月14日(金)

この世の現実から離れては、いかなる「キリスト教的なもの」の現実の存在しない。また、イエス・キリストの現実から離れては、いかなる「この世的なもの」の現実も存在しない。
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鋭い目を持ったこの世は、キリスト教的内面性を守ることによってこの世から最も遠くかけ離れるという自己欺瞞に陥るところに、最も明瞭に「この世性」そのものを見いだすからである。
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キリスト者は完全にキリストに属しつつ、同時に、完全にこの世に生きるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、561f。

キリスト教信仰に生きようとして、いつの間にはこの世から離れてしまう、ということが起こるのかもしれません。あるいはこの世から離れることに憧れるようになる、ということかもしれません。いずれにせよ、この世から離れる所に、キリスト者の現実があるかのように思うのでしょうが、それは非現実であるということでしょう。キリスト教的なものにとっても、この世的なものにとっても、非現実であるということでしょう。

私たちは、キリストに属しつつ、この世に生きる者です。そうしてこそ、キリスト者としての充実があり、かつこの世にあっての充実があるということです。

(祈り)
神さま、あなたとともに、この世に生きる喜びを確かにさせてください。


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