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「過ぎ去った時」などない

〔神のすることはいつまでも存続する〕

2014年11月8日(土)

神が成就するのは、僕たちのさまざまな希望ではなく、神が人間に対して約束してくれたすべてのことである。このことは、神が地上の主であり続けるということを意味する。神は地上にある神の教会を守り続け、僕たちに常に新しい信仰を得させ、限度を越えた重荷を負わせない。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、552ff。

私の希望が、そのまま成就されるのであれば、果たして幸せなのでしょうか。
私の希望は、時に現実離れし、間違いと破壊を秘めたものであるのに、それがそのまま成就されるのであれば、それは恐ろしいことです。
私の希望は、時に自分の身に余るものであり、もしそれが成就したならば、それ以降、大変な重荷を背負うことになるようなものであるのに、それがそのまま成就されるのであれが、なんと恐ろしいことでしょう。
そのような、そのまま成就する神は、偶像の神であり、この地上の神であり、いつわりの神です。
「あなたの願いがかないます」などということをふれる宗教は、なんと恐ろしいことでしょう。それらはみないつわりです。

聖書の神さまはまったくそうではありません。私たちの希望を成就されるのではなく、神さまご自身が人間に約束してくださったことごとを成就してくださるのです。それが聖書の神さまなのです。それこそまことの神さまなのです。

(祈り)
神さま、あなたの愛のみ業を感謝します。


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