〔私はあなたの主なる神である〕
2014年11月4日(火)
「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、その名をみだりに唱える者を、罰しないではおかないであろう」〔出エジプト20:7、十戒の第二戒、なおこの数え方はルターは教会の伝統による。以下同様〕
「神」とは、われわれが考えることのできる最高の方、最も聖なる方、最も力ある方を指す一般的な概念ではない。「神」とは、一つの名である。われわれが「神」と呼びかけることのできるのは、ただ、神が限りない恵みを持って自分をわれわれに知らせるからである。
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第二戒に違反するのは、もともと神の名を知っている者だけである。神の名をみだりにとなえることは、悪意による場合と善意による場合がある。
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認識することが困難で、それゆえにこそより危険なことは、善意によって神の名をみだりにとなえる場合である。
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いつも神をわれわれの意のままにすることができるかのように神について語る時、神の名の濫用が起こるのである。
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冒涜者が神の名をけがす以上に、われわれこそが神の言葉を汚すのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、546f。
神さまの名をけがす罪は、そもそも神さまの名を知っている者が犯す罪です。
そして善意によって神の名をみだりにとなえる罪は、キリスト者が犯してしまう罪です。
神の名を、私の意のままにすることができるかのように、都合よく語る時に、濫用が起こります。そうして神の名をけがしてしまうのです。
神さまの名は尊いお名前です。愛すべきお名前です。大切にしたいと思います。
(祈り)
神さま、あなたの尊いお名前を感謝します。どうか自分の罪の心の中で濫用することがないように私を守ってください。