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初めのころのわざ

〔私はあなたの主なる神である〕

2014年10月31日(金)

「どこから落ちたかを思い起こし、悔い改めて、初めのころのわざに立ち戻りなさい。」(ヨハネ黙示録2:4~5から)

ルターを宗教改革へと駆り立てたのは、まさにこの叫び声にほかならない。
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あなたは燃えているべきであるのに、つめたくなりきっている。
目を覚まして見張っているべきであるのに、怠けている。
空腹であるべきなのに、飽きたりている。
信じるべきであるのに、不安に襲われている。
希望を持つべきであるのに、すぐに力によって解決しようとする。
愛すべきであるのに、自分は何ひとつ失うまいとしている。
キリストを主とすべきであるのに、キリストの言葉をさえぎろうとしている。
キリストにあって奇跡を行なうべきであるのに、極めて平凡なことすらしようとしない。
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信仰や、悔改めとは、神を神とすることにひかならないのである。
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われわれはみな、多くの第二、第三、第四のわざを行なってはいるが、「初めのころのわざ」は行なっていないのではないか。
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あの初めのころの情熱的な、燃えるように愛をもって、神を愛し、兄弟を愛していないのではないか。
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何かを起こすのは神である。しかしわれわれの側も、自分を神に奉仕する者とし、あの初めのころの愛をもって神を神とすべきである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、539ff。

初めのころのわざとは、悔改めて、神さまを神さまとして生きるということです。
多くのわざを行なっていても、この初めのころのわざが欠けているならば、むなしい人生であり、また隣人への愛に生きているのではありません。

神さまへの愛に立ち返りたいと思います。

(祈り)
神さま、あなたへの愛に立ち返らせてください。


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