〔互いに仕え合いなさい〕
2014年10月29日(水)
われわれに、言葉によって隣人の領域に侵入することが許されているのであろうか。
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他者を追いつめる権利を持っていないという認識は、「わたしが弟の番人であるべきなのでしょうか」(創世記4:9)という殺人者カインの言葉と紙一重の危険なところにある。
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われわれは、お互いに必要とする助けを与え合うことによってこそ、お互いに語り合うこともできるのである。
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他者の言葉をわれわれ自身に対して語らせ、きびしい非難や勧めをも、謙虚に感謝して受けることを学べば学ぶほど、われわれは、自分の言葉に対してより自由になり、より客観的になるであろう。
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謙虚な人は、真理と愛のもとに同時にとどまり続ける。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、535f。
兄弟姉妹との良い距離をとるためには、神さまを信じることが大切です。
兄弟姉妹との良い距離をとろうとすると、お互いに揺れ動くものですから、なかなか適切な距離を保つことができません。結果、いつも揺れ動く人間関係の中に置かれてしまいます。
決して揺るぐことのない神さまを土台として生き始めると、少なくとも自分自身は平安と自由をいただくことができるのではないかと思います。
隣人に真理を語らなければならない場面があります。距離をとりすぎて語らないという選択もあると思いますが、それではお互いに助け合って生きているとはいえません。それはカインのような生き方だ、とボンヘッファーは語ります。
かといって、他人の心の中に土足で踏み入るようなこととになっては、その人を生かすことにはなりません。
やはり愛をもって語るべきを語り、語らなくてもよいことは思いとどまることが大切です。
それが謙虚というものです。
(祈り)
神さま、真理と愛のもとに同時にとどまり続けることができますように。