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「最後の確信」と「それよりもさらに大きな確信」

〔愛はいつまでも絶えることがない〕

2014年10月20日(月)

第1コリント13章8~12節。

「知識」は愛に最もよく似ている。知識もまた他を対象とし、他に向かうのである。知識は神の奥義や、人間や、この世を捕え、理解し、解明しようとする。
・・・
あらゆる時代を越えて最も偉大な思想家のひとりは、このことに関して、「私は、自分が何も知らないということを知っている」と言うことによって、あらゆる知識の終わりと発端について認識した。これは、この思想家の最終的な到着点であり、最後の確信でもあった。
しかしパウロは、この確信を越えて、さらに無限に大きな、次のような確信をもっている。「われわれの知るところは一部分である」―しかし、「完全なものが来る時には、部分的なものはすたれる」。そしてこの完全なものこそ、愛なのである。

「知識」と「愛」は、ちょうど「部分的なもの」と「完全なもの」のような関係にある。知識をもって生きる人間のうちで完全なものへのあこがれが高まれば高まるほど、彼は愛をいだくようになるであろう。完全なものを知ることこそが、完全な愛なのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、521f。

イエスさまを信じる者は、知識の尊さと限界を知っています。
そして、愛にあこがれ、愛を知ることを待ち望んでいます。

(祈り)
神さま、世界を知ることを喜び、神さまを知ることを喜び、愛を学ぶことを喜びとしてください。


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