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神の戒めは人間の生の限界を示すだけのものではない

〔私はあなたのさとしを求めて喜びをもって歩むことができます〕

2014年10月16日(木)

イエス・キリストにおいて啓示された「神の戒め」は、生の全体を含む。それは、生の踏み越えることのできない限界を示すだけではなく、何よりも生の中心をんし、生を充実させるものである。
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神の戒めは、われわれの生活に対する日々の「神の導き」となるのである。
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この「生の基本的要素としての神の戒め」は、何よりも次のような自由、すなわち、振舞いや行動の自由、決断や行動する際の不安からの自由を意味する。そして、われわれに確実さと、落ち着き、確信と、平静さ、そして平和をもたらすのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、513ff。

十戒、山上の説教、など聖書の中には「神さまの戒め」が書かれています。
神さまの戒めは、「・・・してはならない」という限界が示されているだけではなく、「・・・できる」という自由が示されています。

真っ暗闇の中を「自由に歩きなさい」といわれれば、それは不自由なことでしょう。
確かな方に手を引いていただく時、自由になるのではないでしょうか。
確か方に手を引いていただくならば、「確実さと、落ち着きと、確信と、平静さ、そして平和」をいただくのではないでしょうか。

神さまの戒めは、私たちが人間として、神さまの前に、平安に生きていくことを許す大切なものです。

(祈り)
神さま、あなたの戒めに生かせてください。


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