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キリストの愛の中に帰ること

〔私はあなたのさとしを求めて喜びをもって歩むことができます〕

2014年10月14日(火)

「心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の意志であるかを、わきまえ知るべきである。」(ローマ12:2)

「何が神の意志であるか」をわきまえ知るためには、どこから始めたらよいのであろうか。神の意志をわきまえるためにどうしても不可欠なことは、人間が内面的に造り変えられること、「心が新たに」されることである。人間が造り変えられ、かたちが変わるということで重要なことは、堕落した人間であるアダムのかたちを克服し、新しい人間であるキリストのかたちと同じになるということである。
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愛のうちに生き、愛が増し加わるということこそが、神の意志をわきまえ知るための前提条件である(ピリピ1:9-10参照)。なぜなら、愛のうちに生き、愛が増し加わるということは、神と人間の一致において生きることであり、イエス・キリストの生を生きることを意味するからである。何が神の意志であるかをわきまえ知ることは、善悪についての自分の知識から出発して考えようとする者には不可能であり、逆に、善悪についての自分の知識を捨て去ろうとし、自分で神の意志を知ることを全くやめようとする者にのみ可能なことである。何が神の意志であるかを、わきまえ知ることは、ただイエス・キリストにおいて示されている神の意志を知ることによってのみ、可能になるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、511f。

祝福された人生を歩みたいと願います。祝福された人生はどこにあるのか。どのようにすれば祝福された人生を生きることができるのか。

人間は、人生のすべてを知っているわけではありません。すべてのことをご存じの神さまのみ心をたずねて、神さまのみ心に生きること。そこに祝福された人生の秘訣があります。

神さまのみ心、神さまのご意志を、人間はどのようにして知ることができるのか。

まず自分自身を変えるということから出発するのです。ほかには出発はありません。

自分自身の内面が造り変えられること。自分自身の内面が造り変えられた人が、神さまのみ心を知り、み心に生きる者、すなわち祝福された人生に生きる者となるのです。

どのように造り変えられるのか。それはイエスさまのかたちに造り変えられるのです。ほかのかたちに造り変えられていてはみ心を知ることはできません。

イエスさまのかたちとは何か。それは神と人間の一致、すなわち受肉に生きるということです。そして、それは善悪についての自分の知識から出発して考えようとするのではなく、それは捨て去って、イエスさまにおいて啓示されている神さまの意志のみを知ろうとすることによって、可能となります。

ありのままの人間を神さまは受け入れてくださいましたが、神さまは人間をありのままにはしておかれません。ありのままでいいんだ、と開き直っている人には、いつまでたっても自分を変えることが始まらず、結果、神さまのみ心を知り、そのみ心に生きる者になれません。結局、救いをいただいているのも関わらず、救いの恵みを満喫せずに、祝福された人生を歩むことができないのです。

(祈り)
神さま、自分を変えることを学ばせてください。受肉されたイエスさまのかたちに自分自身を変えてください。それこそ聖霊さまのお働きに生かされることです。


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