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われわれにとって他者のことはどうでもいいことなのではない

〔赦しについて〕

2014年9月28日(日)

われわれは自分自身に問いかけてみよう。われわれの周囲にいる者の中に、その者が犯した不正をわれわれが許さなかった者がいないかどうか。
・・・
「許す」ということは、「その人について本当によい思いを持つ」ということ、あるいは、そうすることのできない場合には、「その人に耐える」ということである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、479ff。

「ゆるす」ということには、「許す」と「赦す」があります。
「許す」は、許可するということで、罪にあてはめた場合、罪を犯すことを許可するということになってしまいます。
これに対して「赦す」は、もう二度と罪を犯さないように、という願いが込められているように思います。

人のした悪を思わない、ということは、その人のために大切なことというよりも、自分にとって大切なことです。

(祈り)
神さま、赦しのこころを与えてください。。


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