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「召し」と「召命」

〔あらゆることを主のみこころどおり行ないなさい〕

2014年9月21日(日)

イエス・キリストとの出会いにおいて人間は神の招きの声を聞き、またその神の招きの声の中にイエス・キリストとの交わりに生きる生活への「召し」を経験する。
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その人が今、置かれているその場所で、キリストの招きの声を聞き、自分に対して向けられている要求を受け入れるべきなのである。
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「召命」とは、まさに、責任を持つことであり、責任を持つということは、現実の全体に対して人間の全人格、全生活をもってする全体的な応答なのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、466f。

自分の願い通りのことが実現することが必ずしも祝福なのではありません。
罪人である自分の願い通りに事が進んだならば、かえってさまざまな問題を生み出すのです。
祝福は、私を愛していてくださる神さまのみこころの道に生きることです。
イエスさまをお出会いした者は、神さまのみこころに道に生きるようにと招かれています。召しと召命に生きる時、人間は輝きます。

(祈り)
神さま、あなたの召しに生き、召命に応えることができるようにしてください。


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