〔一つの体―お互いはその部分〕
2014年9月15日(月)
「弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかということで、議論が始まった」(ルカ9:46)
「弟子たちの間に、議論が始まった」-これは交わりを破壊するのに十分である。
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他者と出会う最初の瞬間から、人間は他者に対して戦闘態勢をとろうとし、また、そのような姿勢を最後まで崩そうとはしない。
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われわれはみな、本能的な確かさをもって、自分が立つことのできる場所、自分を守ることのできる場所を見いだそうとしているのではないであろうか。
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誰が偉いのかという議論はすべて、最も礼儀正しい仕方においても、あるいはもっとも敬虔な仕方においても起こりうることである。
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ところでこの議論は、自己義認を求める人間の自然的な戦いであると言える。このような人間はまさに、自分を他者と比較することによって、また他者を批判し、他者を裁くことによって、自分の義を見いだそうとしているのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、457f。
あからさまに誰が一番偉いか、などという議論をしないのかもしれません。しかし心の中では常に他者と比較し、自分が少しでも賢く、えらく、貴い存在であるということを確認しているのではないでしょうか。
それは不自由な生き方であると同時に、交わりを破壊することにつながります。
(祈り)
神さま、どうか他者との比較から自由にしてください。そうして豊かな交わりの中に生かしてください。