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どこまでも神に逆らうこと

〔私たちを試みに会わせないでください〕

2014年9月6日(土)

誘惑を引き起こす者は「悪魔」であると聖書がみなす時、聖書は何を語ろうとしているのであろうか。
聖書は、先ず第一に、誘惑とはどこまでも「神に逆らうこと」であると言おうとしている。
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聖書は、第二に、神の敵というものが、誘惑において「神の意志でない何ごとか」を行なわせる力であるということを示そうとしている。
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第三に、誘惑は「惑わすこと」、あるいは、「誤った方向に導くこと」である。
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第四に、悪魔は、「人間を訴える者」である。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、442f。

私たちが神さまに逆らい、神さまの意志でない何ごとかを行なおうとし、誤った方向に行き、ついに自己嫌悪、自己憐憫の中に落ち込む時、悪魔の誘惑の中にあるのです。
それは決して神さまの御心の中にあるのではありません。

もちろんそれで罪の責任から逃れられるわけではありません。罪人である私たちはさばかれなければならないのです。

しかしさばかれなければならない存在であると同時に、そのような私のために十字架と復活によるあがないの御業を成し遂げてくださったイエスさまが共にいてくださることを忘れてはなりません。

罪人であると同時に、罪赦され神の子としていただいたのです。

罪赦され神の子とをしていただいた私たちに誘惑が襲ってきます。共にいてくださるイエスさまの愛の力によって誘惑に勝たせていただきましょう。

(祈り)
神さま、日々襲い来る誘惑に勝たせてください。


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