〔私たちを試みに会わせないでください〕
2014年9月5日(金)
もし誘惑というものが、私たちに理解することのできない「神の必然」によって来るにしても、次のことは確かである。すなわち、われわれがこの「神の必然」を崇拝したり、ストア哲学者のように諦めて自分を誘惑に引き渡したりすることのないようにと、あらゆる人間の中で最も試みられたキリストこそが勧めているということ、そして、そのかわりに、神が悪魔の言いなりになる「暗い必然」から、神が悪魔を足の下に踏みつける明らかな神の「自由」へわれわれが逃れるように、そして「私たちを試みに会わせないでください」と呼び求めるようにと、キリストこそがわれわれを招いているということ、-このことは確かなことである。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、440f。
誘惑の時は必ずやってきます。それは避けられないことです。
しかしイエスさまが、試みに会わせないでください、と祈るように教えてくださいました。それはイエスさまが、神さまの自由へ、私たちを招いていてくださるということだとボンヘッファーは語ります。
イエスさまを信じて生きる信仰生活は、誘惑のない人生ではありません。
しかしたとえ誘惑の中にあっても、イエスさまが共にいてくださいます。いつもイエスさまを見上げて、イエスさまの愛と恵みの中に覆われていることを、信じたいと思います。
(祈り)
神さま、試みに会わせないでください。