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誘惑はわれわれの力試しなのではない

〔私たちを試みに会わせないでください〕

2014年9月3日(水)

「わたしたちを試みに会わせないでください」(マタイ6:13前半)

「自分の力のみを頼りにして生きようとする人間」は、冒険や、戦いをすることによって、自分の力を試そうとする。そのような人間は、<もし自分が生命を賭けて生きようとしないなら、人生を勝ち取ることはできないであろう>と考える。このような考えによれば、死の危険にさらされた生だけが、勝ち取られた生であるということになる。これが自分の力のみを頼りに生きようとする人間の認識である。
「倫理的に正しく生きようとする人間」は、力試しをしたり、試練に会うことによってのみ自分という者が本物となり確実になると考えたり、善人は悪人がいるからこそ善人でありうるのだと考えたりする。それゆえ、倫理的に正しく生きようとする人間は、悪人が現われ出ることを要求するのであり、彼の日ごとの祈りは、<私の中にある善の力を試すために、私を試みに会わせてください>となってしまうのです。
・・・
キリスト者は、自分の力を試そうなどとはしないで、「私たちを試みに会わせないでください」と祈るのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、437ff。

自分が弱い者であるということを知っているキリスト者は、主イエスさまが教えてくださった「主の祈り」を良く知ることができます。
信仰とは、自分がいかに弱い者であるかを知ることである、と言えるかもしれません。

(祈り)
神さま、まことの人間として生きる道を教えてください。


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