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見られないことを望む

〔愛は忍耐強く、情け深い〕

2014年8月30日(土)

「愛はねたむことをしない」。―けれども自己愛はねたむ。
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愛は、ねたむことをしないので、自分のことを気にかけることがない。
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愛は自分を忘れ、人間の目が自分自身を見ることができないように、少しも自分を見ないのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、429f。

ねたみとは、人をうらやむことです。人がほめられたり祝福されたりする姿を、心から喜ぶことができないことです。みな、ねたみの心を持っています。
ねたみの心があると自分自身が苦しくなります。ねたみの心から解放されるとどんなに自由になれるかと思います。
ねたみの心から自由になるためには、自分のことを気にかけない、自分自身を見ないまことの愛に生きること、とボンヘッファーは語ります。

自分自身を愛するように隣人を愛しなさい、とイエスさまは教えてくださいました。自分自身を愛するということは、自分自身を大切にするということですが、それは自分のことを気にかけ、自分のことばかりを見つめ、自己中心に生きることとは正反対のことである、ということでしょう。

自分へのこだわり、自分中心から自由になると、ねたみの心からも自由にされ、そうして本当に自分自身を大切に生きることができるということでしょう。

(祈り)
神さま、ねたみの心から解放してください。


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