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愛か憎しみ―その中間はない

〔まず神の国を求めなさい〕

2014年8月17日(日)

「ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。」(マタイ6:24)

神を愛さないなら、その時われわれは神を憎むようになる。その中間はない。
・・・
あなたはいつも、<神を憎むということが不真実なことである>と考えてはいるのであろう。しかしあなたは、そのことによって自分の思いどおりに神を愛しているだけである。われわれがまさに神を愛そうとし、それと同時にこの世の財貨も愛そうとするなら、この神への愛は憎しみに変わり、われわれの目は単純さを失い、われわれの心もイエスとの交わりから閉め出されることになるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、408頁f。

「ふたりの主人に兼ね仕えることはできない」というイエスさまのお言葉は、「兼ね仕えてはならない」ではなく「兼ね仕えることはできない」ということですから、ふたりの主人に兼ね仕えることは人間には不可能であるということです。
兼ね仕えてはならないならば、人間にはそれが可能であるということですが、そうではなく、そもそもそのような生き方が不可能なのです。
ですから、ふたりの主人に仕えようとしていること、すなわち、神さまとこの世の富とに仕えようとしているということは、すでに神さまを憎んでいることなのです。

神さまのみを愛する者にしていただいたことを確かにするとき、私たちの人生は真実の豊かさに満たされます。

(祈り)
神さま、あなただけに仕える者としていただいたことを、大切にできますように、守ってください。


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