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裸のままにはさせない

〔神の忍耐のもとにある生〕

2014年8月4日(月)

「主なる神は、人とその妻とのために、皮の衣を造って、彼らに着せられた。」(創世記3:21)

「神は、彼らのために皮の衣を造った」と聖書は語る。このことは、神が人間を「堕落した人間」として受け入れたということを意味している。神は人間を堕落者として肯定する。神は人間を裸のまま、お互いに身をさらさせるようなことはしない。むしろ神自身が、彼らを覆う。神が人間のために行動するのである。
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神は人間のために衣服を造ることによって、衣服というものが彼らの悪のゆえに必要であることを示す。そして神は、そのことによって、人間の病的な欲望を抑制するが、しかし人間を破滅させるようなことはしない。神の保持の行為とは、神が罪の世界をそれとして肯定し、それに秩序を与えることによって、人間に限界を示すということなのである。
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堕落した世界において、堕落した秩序において、神は、人間を死へと、そして死を越えて復活へ、新しい創造へ、キリストへと保持しようとしている。これこそ、人間に対する神の新しい行動である。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、385頁ff。

人間同士が「裸」で付き合うことがよいことであるのか、というと、聖書はそうではないと語っているようです。裸で、本音で、ありのままで、包み隠さず付き合うことができるならば、一見よいことのようですが、人間は罪人となりましたので、そのような生き方をすれば途端に人間関係は破壊されるのです。
神さまは、私たちに衣を準備してくださいました。しかも皮の衣ですから動物が殺されているのです。いのちが奪われているのです。

キリストは私たちの罪人のために命をささげてくださいました。キリストをこの身に着て、人間は初めてよい人間関係に生きることができます。

(祈り)
神さま、いつもキリストを着る者とならせてくださったことを感謝します。


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