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神への自由な礼拝をする主体

〔はじめに神は・・・・・・〕

2014年6月28日(土)

「かたち」は、言葉に対応する。それゆえ言葉は、個々のもの、実在するもの、また全体を、取り出し、輪郭を与え、限界づける。言葉は、存在するものを非存在から呼び出して、存在させるのである。創造の言葉の後ろには、暗黒の、どうにも近寄りがたい闇が口を開けている。
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かたちのない淵の上は闇が支配していたので(創世記1:1)、光がかたちを創造しなければならない。かたちのない夜が、朝の光によってそのかたちをとるように、また光がさまざまなもののかたちを明らかにし、さまざまなものにかたちをもたらすように、あのはじめの光は混沌に秩序を与え、かたちをあらわにし、かたちをもたらすものとならなければならなかった。光は、闇を存在へと、そしてまた創造者のへの自由な讃美へと覚醒させる。
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神が創造した光によって、創造された者は、神の光を見ることになるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、320頁f。

琵琶湖畔にある団体のキャンプ場は自然豊かな中に建てられています。キャンプが終わり夜に帰ろうとすると、灯りのない道を通って車の停めてあるところまで歩かなければなりません。真っ暗闇の中を歩くのは、どこに道があるかも分からず難しく危険があります。
そんな暗闇につつまれた世界にも朝日が差し込むと、とたんにかたちを成し、草木が浮き彫りにされ歩むべき道が見えてきます。闇の支配による混沌も、差し込む光によって秩序が与えられ、かたちがあらわになるのです。

私たちの人生がいかに暗闇の支配による混沌の中にあろうとも、神さまのみことばの光が差し込み、秩序が生まれ、かたちをなし、神さまへの感謝と人生の喜びに満たされるのです。

(祈り)
神さま、あなたの光を心から感謝します。


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