〔はじめに神は・・・・・・〕
2014年6月24日(火)
聖書は「はじめ」について語る。このことが、世界を激昂させ、われわれを激昂させる。なぜなら、われわれは「はじめ」について語ることができないからである。「はじめ」が始まるところで、われわれの思考はとまり、終わりとなる。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、313頁f。
神さまが「はじめ」に天と地を創造された、と聖書は語ります。この「天と地」の中に「私」がいます。私も神さまによって造られたものです。
造られたものである私が、「はじめ」について考えようとすると、そのはじめの現場には私は居合わせませんでしたから、私の経験や思考によって「はじめ」を考えることができません。
それはただ信じることで成り立つものです。死後の世界も、私にとっては未経験の世界ですから、信じることによって成り立っています。それと同じように、「はじめ」も信じることによって成り立っています。
この信じることによって成り立っている「はじめ」。今生きるということにおいてとても重要です。
創造の「はじめ」には、神さまの愛のおこころがあります。
(祈り)
神さま、すべてのもののはじめにあなたの愛のおこころがあることを感謝します。