〔真実を語るとは何を意味するか〕
2014年6月20日(金)
「真実を語る」ということが何を意味するのかは、その人が立っている場所に応じて、異なる。
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実質的に不真実なことをひとことも語らなくても、私は相手に対してこびへつらうこともできるし、おごりたかぶることもできるし、あるいはまた、偽善を行なうこともできるのである。しかしそのような場合、やはり、私の言葉は不真実である。
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生活と、具体的な他者との交わりから離れ、私が誰に向かってそれを語っているかということを考慮することなしに「真実が語られる」ところでは、その真実は外見だけのものであり、実体はないのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、306頁ff。
真実な関係の中でこそ、真実は語られるといことでしょうか。あるいは、具体的な他者を生かすということなしに語られる言葉は、いくら「事実」を語っているとしても、それは「真実」ではない、ということでしょうか。
(祈り)
神さま、相手を生かす言葉を語らせてください。