〔しかし私はあなたがたに言う〕
2014年6月13日(金)
マタイ5:17~20から
イエスは、<自分は、旧約聖書、すなわち律法と預言者における神の意志と完全に一致している>と表明した。
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「律法を神とすること」と「神を律法とみなすこと」、―これがイスラエルの罪であった。そしてまたこれと逆の罪もあった。「律法と神から切り離すこと」と「神を神の律法から分離すること」、―これはイエスを誤解した弟子たちの罪であった「神」と「律法」とが、イスラエルにおいては同一視され、弟子たちにおいては分離されていたのである。
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イエスは「神を冒涜する者」、「律法の侵犯者」として十字架上に死んだのである。それは何よりも、イエスが、誤解された偽りの律法に対立して、本当の律法を効力あるものとしたからにほかならない。
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十字架につけられた方であるイエス自身が、律法の完全な成就なのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、292頁ff。
ここで律法という言葉を聖書と置き換えてはどうでしょうか。
聖書を神とする罪、聖書と神を切り離す罪、この二つの罪が現在の教会に起こっている問題である、といういう言い方ができるかもしれません。
十字架につけられた方であるイエスさまご自身が、律法の完全な成就である、という言葉の意味を深めていきたいと思います。
(祈り)
神さま、みことばの深さ広さを教えてください。律法の完全な成就であるイエスさまの恵みを教えてください。