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神は、何でも等しくあらねばならないという、平等専一主義に拘束されない方

神は、何でも等しくあらねばならないという、平等専一主義に拘束されない方だということです。神は一方の兄弟に多くを与え、他方の兄弟に少なくお与えになります。だが、そうすることによって、まず先なる者が他の者を兄弟の情愛をもって支えるようにと配慮なさるのです。平等であるよりも、相違していることが、兄弟関係をよく保つ前提になるのです。

リュティ、『アダム』、199頁。

この世界は不公平です。その不公平を嘆いて人生を呪い神さまを呪って生きることもできますが、むしろ不公平を受け止め、それを神さまからの問いかけと受け止めて一所懸命生きている人がいます。そのような人の人生はなんと輝いていることでしょう。私は教会生活を通してそのような信仰者にたくさん出会ってきました。

不公平、不平等をおゆるしになっておられる神さまの真意を人間はどこまで知ることができるのかわかりませんが、リュティが語るように「先なる者が他の者を兄弟の情愛をもって支えるようにと配慮」なさるのでしょう。

これは単に強い者、豊かな者、賢い者がそうでない者を助けるにとどまりません。むしろ逆が多いのです。弱い者、貧しい者、賢くない者が、そうでないものを助けるのです。

カインは弟のアベルをねたみました。しかし「アベルよ、君のささげものが神さまに受け入れられてよかったなあ。兄として誇らしい、うれしい。しかし次にささげるときは、兄さんも手加減しないぞ。ともに神さまに礼拝をささげる喜びを確かにしよう。羊であれ穀物であれ私たちが得たものは、みな神さまの恵みによるのだから」と兄弟の情愛の豊かさの中で健やかに生きることができればよかったのだと思います。


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