あなたがたの喜びが満ちあふれるようになる

静まりの時

  • テーマ:喜び
  • 聖書箇所:ヨハネ16・16~24
  • 日付:2026年02月06日(金)

24 今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。

私たちはいまだ主の名によって求めたことがない。求めよ。求めるならば、受ける。求めて受けることによって、私たちの喜びが満ちあふれるようになる。主はそう言われました。

ここで求めるとはいったい何を求めるのか。主の名によって求めるべきこととはいったい何であるのか。

ここまで主がお話になってこられたのは、「わたしを遣わされた方のもとに行こうとしている」(5)、去って行くことによって「助け主を遣わす」(7)、その方が来ると「罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかにされる」(8)、「真理の御霊が来ると」「すべての真理に導いてくださる」(13)。つまり、自分は去っていき、聖霊が遣わされる。それによってすべてが明らかになる、というようなことだと思います。

そこで、求めよ、といわれるということは、この聖霊を求めなさい、と言われたと考えてよいように思います。聖霊が与えられるのは、主が去って行く、ということによって実現する、と。

私たちはいろいろなものを求めているかもしれないが、聖霊を求めているだろうか。

私たちは、主が目の前におられるならば、この聖霊を求めることをしないのだと思います。しかし去って行かれる、ということによって、聖霊を求める、そして聖霊が与えられる、ということが実現する。そのようにして、私たちの喜びが満ちあふれる、と。

喜びはどのように生まれ、どのように満たされるのか。究極的には、愛される、ということにおいてではないかと思います。自分の存在が肯定されている。受け入れられている。生きる居場所をいただいている、などなど、いずれも愛されているという実感を生み出すものだと思います。主に求める、そして与えられる。聖霊、すなわち神ご自身が与えられる。神さまとの豊かな交わりの中に生きる者とされる。それによって、神さまの愛を知り、神さまに愛されていることを学ぶ。たとえこの世界において愛されていることを知ることができなかったとしても、ここに愛がある。その神さまの愛に出会ってこそ私たちの喜びが満ちあふれるようになるのです。


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