静まりの時
- テーマ:聖別された者
- 聖書箇所:ガラテヤ1・11~17
- 日付:2026年01月26日(月)
11 兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
12 私はそれを人間から受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
これを書いたパウロは第一コリント書で以下のように語っています。
3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、・・・
(第一コリント15・3~)
ガラテヤ書で、人間から受けたのではなく、教えられたのでもない、ただキリストの啓示によって受けたのだ、とパウロは語るのですが、実際は、第一コリントや使徒の働きで語られているように、自らの信仰がユダヤ教からキリスト教へと再構築されるための時間や学び、交わりが必要であったと推測されます。いくつもの異端と呼ばれることになる宗教のように、神さまから直接啓示を受けた、と語るのは、聖書の語る信仰ではありません。
しかしそのように、学びと交わりの時間があったにも関わらず、このガラテヤ書では、わざわざ、直接的に啓示を受けたのだ、と語らなければならなかった事情があったのです。そのへんを紐解くことがこの聖書の個所を正しく理解するカギです。
ガラテヤ書は、他のパウロ書簡とは違って、前置きが少なく早々に本題に入っているといわれます。性急に書かれた手紙、いわば緊急事態に書かれた手紙であるということです。他の手紙にも書かなければならない問題が教会にあったのですが、ガラテヤの教会には、特に緊急性のある問題が起こっていたのです。それが「ほかの福音」(6,7)に移って行く、という問題でした。倫理の問題、教会制度の問題も大切な問題ですが、ガラテヤの教会には、信仰そのものの問題、福音の問題があったのです。まさに緊急事態です。
それでパウロはこのような言い方をしたのだと思います。ガラテヤの教会があらためて知らなければならなかったことは、パウロを通して語られた福音は、神さまからのものである。人間的なものではない。教会は、その人間的ではないもの、神さまからのものを語っている、それが福音なのだ、とパウロは分かってほしかったのだと思います。
牧師が語ることば、あるいは語らなければならないことばは、独自の信仰ではなく歴史の教会が大切にしてきた信仰です。それを神さまからのもの、として語らなければなりません。また教会は、牧師から語られることばが、教会の歴史において語られてきた信仰であるかどうかを吟味しなければなりません。そしてその上で、牧師から語られることばを、神さまからの直接のことばとして聞かなければならないのです。