新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。

静まりの時

  • テーマ:諸国民の光
  • 聖書箇所:コロサイ3・5~11
  • 日付:2026年01月15日(木)

5 ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝です。
6 これらのために、神の怒りが不従順の子らの上に下ります。
7 あなたがたも以前は、そのようなものの中に生き、そのような歩みをしていました。
8 しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。
9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは古い人をその行いとともに脱ぎ捨てて、
10 新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。
11 そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。

イエスさまを信じて救われたということは「古い人をその行いとともに脱ぎ捨て」「新しい人」を着たことです。

新しい人を着たのですが、依然、古い人に生きることができてしまいます。古い人、すなわち「淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲」「怒り、憤り、悪意、ののしり」「口から出る恥ずべきことば」「互いに偽りを言うこと」に生きてしまいます。

信仰生活は、この「古い人」を脱ぎ捨てる闘いです。イエスさまを信じたからといって、自動的に、新しい人のような生き方になるのではありません。

古い人との闘いは、「新しい人を着た」という事実と、その「新しい人を造られた方のかたちにしたがって新しくされ続ける」ことへの信頼、そして「真の知識に至る」ことへの希望に支えられています。古い人との闘いは、自らの力ではなく、神さまのお力によって前進します。

イエスさまを信じて救われた、ということは、その生き方が根底から変わることです。

この新しい人を着た新しい生き方は、ともに生きる人たちとの垣根を乗り越える生き方へと私たちを導きます。「ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人」もない、そういう生き方へと私たちを招くのです。それは、救われた者にとってはキリストがすべてであり、すべてのうちにキリストがおられることを信じたからです。キリストを信じたということは、すべてのうちにキリストがおられることを信じたことなのです。


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