あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに

静まりの時

  • テーマ:新しい名をもって
  • 聖書箇所:エペソ2・1~10
  • 日付:2026年01月07日(水)

しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。(4,5)

私たちは「背きの中に死んでいた」者でした。この「背き」は、新共同訳では「罪」、共同訳2018では「過ち」と訳されています。聖書の語る罪とは、的外れ、のことであると説明されますが、まさに罪とは、神さまという的を外してしまう神さまに対する背きであり、本来人間が生きるべき道における過ちそのものなのです。

そのような私たちを、神さまは「救いたい」と願われました。ここに大いなる愛があります。キリスト教の救いは、神さまのこのあつい願いが始まりにあります。人間が救われたいと願ったことが始まりなのではないのです。

なるほど、教会に来たのには、自分自身の意志があったからであり、そこにはいくばくかの救われたいという願い、あるいは、救いとまでは言わなくても、なにか祝福に与りたいとの思いが私の内にあったでしょう。しかし、教会が語る福音は、その自分の思いに先立って、神さまの御思いがあったと語ります。この神さまの御思いに出会うことが救いであるといえるのではないかと思います。

神さまの愛が先行する救いなので、この救いはどこまでも神さまの恵みによるものです。

この救いとは具体的にどのようなものであるのか。聖書は「キリストとともに生かしてくださる」、それが救いであると語ります。

救いというと、何か自分の願いが実現したとか、祝福があったとか、苦しみが解決された、ということを言うように思います。しかし聖書は、キリストとともに生かしてくださることこそ救いである、と語ります。

キリストとともに生きる。それが人間にとって救いなのです。それが聖書が語る本当の救いなのです。


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