ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。

静まりの時

  • テーマ:主は近い
  • 聖書箇所:マタイ21・33~44
  • 日付:2025年12月15日(月)

33 もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がいた。彼はぶどう園を造って垣根を巡らし、その中に踏み場を掘り、見張りやぐらを建て、それを農夫たちに貸して旅に出た。
34 収穫の時が近づいたので、主人は自分の収穫を受け取ろうとして、農夫たちのところにしもべたちを遣わした。
35 ところが、農夫たちはそのしもべたちを捕らえて、一人を打ちたたき、一人を殺し、一人を石打ちにした。

「『ぶどう園と農夫』のたとえ」。

イエスさまはたとえの話を終えられると弟子たちに問われました。

40 ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」

弟子たちは答えます。

41 彼らはイエスに言った。「その悪者どもを情け容赦なく滅ぼして、そのぶどう園を、収穫の時が来れば収穫を納める別の農夫たちに貸すでしょう。」

この弟子たちにイエスさまは次のように言われました。

43 ですから、わたしは言っておきます。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ民に与えられます。
44 また、この石の上に落ちる人は粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします。」

神さまは、預言者を遣わしご自身のおことばを私たちに語ってくださいます。その語られることばをしっかりと聞き、神さまを大切にするようにと言われたのだと思います。

40節のイエスさまの問いをもう少し思いめぐらせてみたいと思います。

40 ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」

弟子たちは、当然のようにぶどう園の主人はその悪い農夫たちを一掃すると答えたのですが、このぶどう園の主人の言動を考えるとどうもそうでもないような気になります。ぶどう園の主人は、

37 その後、主人は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。

遣わしたしもべたちがことごとくひどい目にあいます。そういう状況を知ったうえで語られる農夫のこのことばは、どうも理解がしにくいのです。私ならば、このようには考えないのではないかと思いました。すでに農夫たちの所業は判明しています。そんな農夫のところに大切な息子を遣わすだろうか。敬ってくれるだろう、などというのは、甘いというか、おめでたいというか、どこまでも農夫を信じよう、農夫に期待しようとしているというか・・・。

そういう主人であると思うと、40節のイエスさまの問いには、別の答えも考えられるのではないだろうか。

40 ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょうか。」

私たちはどう答えるでしょう。

弟子たちは、悪い農夫を一掃されると答えたのですが、それに対してイエスさまが言われたのは次のことばでした。

42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、聖書に次のようにあるのを読んだことがないのですか。
 『家を建てる者たちが捨てた石、
 それが要の石となった。
 これは主がなさったこと。
 私たちの目には不思議なことだ。』

この「家を建てる者たちが捨てた石」は、別のところではイエスさまを指すことが多いと思いますが、ここでこの悪い農夫を指していると理解すると、徹底的に裏切ってしまう者に対しても、決してあきらめることなく徹底的に愛し期待し続ける神さまの姿が描かれているとも感じるのです。

まさに「私たちの目には不思議なこと」です。

もちろんこの後には43,44節で、厳しいさばきのことばが語られていますので、この理解には限界があるようにも思います。しかし神さまは、私の目に不思議なことをなさるお方ですから、私たちを徹底的に愛し期待していてくださることを忘れないでいたいと思います。

神さまから遣わされてきた預言者たちにことごとく耳を傾けようとしなかった私たちのために、御子イエスさまを惜しまずに与えてくださった神さまなのですから。「悪者どもを情け容赦なく滅ぼ」すどころか、十字架上に自らを献げてくださった神さまなのですから。


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