神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか

静まりの時

  • テーマ:主の神殿
  • 聖書箇所:第一列王記8・22~30
  • 日付:2025年12月08日(月)

27 それにしても、神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか。実に、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの宮など、なおさらのことです。

ダビデがこころざした神殿はその子ソロモンが建てることになりました。この神殿は類を見ないほどに豪華で荘厳なものだったようです。その献堂式において献げられたソロモンの祈りは、キリスト教会の会堂とはいかなるものかということを明らかにしています。

おおよそ宗教において神殿、社、寺院などには、神さまや仏さまが安置されるものです。新しく建立されたときには、あらためて神さまにお入り頂くような祈りがささげられたり、建物を壊すときには、性根抜きのようなこともされます。人間の建てたものではありますが、そこに神さまがお住まいになるのです。

しかしソロモンは、自分の建てた神殿を前に、まことの神さまは地の上に住まわれるでしょうか、たとえ天であっても神さまをお入れすることなどできません、まして私の建てたこの神殿などなおさらです、と祈りました。

自分が持てる力の限りを尽くして建てた神殿。しかしそこには神さまはお住まいにはなられない、それほどに神さまは偉大なお方である、と祈る。これは謙遜ではなく、信仰なのだと思います。もちろん建てたものを粗末に扱うことは良くないことだと思いますが、常に自分の成した業のなかに神さまを閉じ込めることしない。神さまはそれを超えていてくださるお方である。それを見失わない。キリスト教信仰が大切にすべきことだと思いますが、教会の歴史を見ると、どうもそうでもないものが見え隠れしています。

「神は、はたして地の上に住まわれるでしょうか」。神さまは地の上などには住まわれないはずなのです。しかし奇跡が起こりました。

「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1・14)

「みくらを去りて 御殿を離れ 神のますらお 道にいでたつ」(新聖歌66,2)

「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」(第一コリント3・16)


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