静まりの時
- テーマ:主の日に向かって
- 聖書箇所:ヤコブ5・7~11
- 日付:2025年11月27日(木)
7 ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
8 あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。
9 兄弟たち。さばかれることがないように、互いに文句を言い合うのはやめなさい。見なさい。さばきを行う方が戸口のところに立っておられます。
10 兄弟たち。苦難と忍耐については、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。
11 見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いだと私たちは思います。あなたがたはヨブの忍耐のことを聞き、主によるその結末を知っています。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられます。
耐え忍ぶ、忍耐する。忍耐と訳されているギリシャ語は、「長い」という言葉と「激情」という言葉が結びついてできた単語のようです。導火線が長い、みたいな感じです。
忍耐することの中で、互いに文句を言い合うことをやめること、が勧められています。互いに文句を言うことは、忍耐していない、ということなのかもしれません。
ヨブの忍耐のことを聞き、とあります。ヨブはかなり文句を言ったように思いますが、あれは文句ではなかったのかもしれません。
農夫のたとえが書かれています。自然が相手では耐え忍ぶことが要求されます。自分ではコントロールできないものとともに生きようとすると、どうしても忍耐が必要です。忍耐して待つこと、が要求されます。
私たちに、「忍耐」「待ち望むこと」を可能とするのは、主への信仰です。主が慈愛に富み、あわれみに満ちておられる、と信じることから生まれるものです。
主を信じるということは、主が慈愛に富み、あわれみに満ちておられることを信じることです。主が慈愛に富み、あわれみに満ちたお方であることは、主の降誕、十字架、復活において完全にあきらかにされました。