人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい

静まりの時

  • テーマ:仕える
  • 聖書箇所:エペソ6・5~9
  • 日付:2025年11月14日(金)

5 奴隷たちよ。キリストに従うように、恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。
6 ご機嫌取りのような、うわべだけの仕え方ではなく、キリストのしもべとして心から神のみこころを行い、
7 人にではなく主に仕えるように、喜んで仕えなさい。
8 奴隷であっても自由人であっても、良いことを行えば、それぞれ主からその報いを受けることを、あなたがたは知っています。
9 主人たちよ。あなたがたも奴隷に対して同じようにしなさい。脅すことはやめなさい。あなたがたは、彼らの主、またあなたがたの主が天におられ、主は人を差別なさらないことを知っているのです。

「脅すことをやめなさい」。

主人という立場に立つ者は、キリスト者になってもなお「脅す」ということを奴隷に対して行なっていたようです。恥ずかしいことです。
誰に対しても脅すなどと言うことはしていないと思いますが、相手が奴隷であるとみれば、容易に脅すということをしてしまう。主人とはそういう者である。私たちは主人ではないかもしれません。しかし自己中心で自分が主人、主である、とするとき、私たちも誰かに対して「脅す」ということをしてしまうのではないだろうか。多くのドメスティックな暴力にも、このようなことが起こっているのかもしれません。
脅すとは、相手をこわがらせて、こちらの意のままにあやつろう、コントロールしよう、支配しようとすることです。現代の言葉でいえば、パワハラです。このハラスメントは、立場の強い者が弱い者に対して行なういやがらせと説明されます。様々なハラスメントの根底にある問題かもしれません。
脅すということの中には、単に大声を出す、威嚇する、ということだけではなく、経済的に困窮させる、無視する、あるいは自殺するぞと脅す、などなど。夫婦はともに主に仕える者同士ですが、一方が一方を奴隷のように思うとき、そこにDVが起こるのかもしれません。

数年前だったでしょうかあるお店で客が店員を土下座させたといったことが話題となりましたが、そういうことに近い場面に遭遇すると、なにか居心地の悪さを感じます。一刻も早くその場を去りたいと思ってしまいます。

パワハラは一般的には上司が部下に対して行なうことなのだと思いますが、立場はその状況によって変化するようにも思います。学校では、立場の強い先生が弱い生徒に対して行なってしまう可能性のある事ですが、生徒がお客さんのようになり先生がファミレスの店員のようになってしまうと、生徒や保護者は結果的にカスハラのようなことを起こしてしまうのかもしれません。教会に当てはめてみると、立場の強い(と言われている)牧師が立場の弱い(とされている)信徒に対して行なってしまうことになりますが、上記のように信徒がお客さんとなり牧師がファミレスの店員のようになると、そこではカスハラめいたことが起こることも想像されます。

この聖句に続く言葉は、共同訳では次のように訳されています。

「あなたがたが知っているとおり、彼らとあなたがたとの主は天におられ、人を分け隔てなさらないのです」。

差別、という言葉は強い言葉で、さまざまに想像が走りますので、この共同訳のように「人を分け隔てなさらない」と訳されると、少し理解しやすいように思います。主人も奴隷も神さまの前には、同じ主の御手の中にある人間である。もし仕えるということだけではなく、あらゆる行動が神さまの前に為す事であれば、主にある者は、誰に対しても、分け隔てなく接することでなければならない。相手が誰であろうとも、神さまがいのちを捨ててくださるほどの大切な人であることを見失ってはならない。そういうことだと思います。


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