互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます

静まりの時

  • テーマ:仕える
  • 聖書箇所:ガラテヤ5・13~15
  • 日付:2025年11月13日(木)

13 兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。
14 律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされるのです。
15 気をつけなさい。互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます。

かみつき合う、食い合う。野生動物が生存をかけてかみつき合う、食い合うかのような場面が、教会の中で起こっていた、ということでしょう。実際にかみつき合ったり、食い合ったりしている場面を想像するとやや滑稽ですが、そのように感じ取られるような言動が、キリストを信じたという人たちの間で横行していたのです。

この新改訳では、そういうことをしていると、やがて滅ぼされる、と理解できるかもしれませんが、例えば共同訳2018では、「互いにかみ合ったり、食い合ったりして、互いに滅ぼされないように気をつけなさい」と訳されていて、互いにかみ合ったり、食い合ったりしていることによって滅びをもたらしている、あるいはそのような生き方自体が、すでに滅びの中にあるといわれているようにも思います。

救いとは、いまの生き方の結果として将来に成り立つ、という時系列の中にあるものではなく、いまの生き方そのものが、救いとなっているかどうか、が問われていると考えなければならないのではないか。イエスさまを信じて、将来永遠のいのちをいただくということは大切な真理ですが、永遠のいのちは将来だけのことではなく、いま永遠のいのちに生きているかどうか、が聖書の語るところではないかと思います。

では、互いにかみつき合ったり、食い合ったりするのではない、ほんとうに救われた者の生き方とはどのような生き方であるのか。

「愛をもって互いに仕えあう」「あなたの隣人を自分自身のように愛する」。そういう生き方なのだと思います。

イエスさまを信じた時から、罪が赦され、永遠のいのちをいただいたのですから、私たちはまったき自由の中にあります。その自由を、「肉の働く機会としない」、新共同訳では「肉に罪を犯させる機会とせず」。自由だからといって、平気で罪を犯すのは、論外ですが、愛をもって互いに仕えあうことをしないならば、それはほんとうの自由に生きているのではない。依然罪の奴隷である。私たちは与えられた自由を最大限に用いて、仕える、すなわち奴隷になろう、というのだと思います。


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