静まりの時
- テーマ:仕える
- 聖書箇所:ローマ12・3~8
- 日付:2025年11月12日(水)
3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。思うべき限度を超えて思い上がってはいけません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深く考えなさい。
「思うべき限度を超えて思い上がってはいけません」。新共同訳では「自分を過大に評価してはなりません」。共同訳2018では「分を越えて思い上がることなく」。
私たちが生きづらさを感じているとすれば、それは思うべき限度を超えて思い上がっているからかもしれません。なぜ思うべき限度を超えてしまうのか。それは自分を過大に評価しているからかもしれません。分を超えているからかもしれません。
もし思うべき限度を超えず、自分を過大に評価せず、等身大の自分をしっかりと認識して、その自分の分に応じて生きているならば、平安の中に生きることができるのではないか。
もし私たちが人間関係に問題を感じているならば、相手のうちにも問題があるのかもしれませんが、まずは自分自身が思うべき限度を超えて思い上がってはいないだろうか、と振り返ってみるのもよいことかもしれません。相手は変えることができませんが、自分を変えることは相手を変えることを思えばとりあえずは不可能なことではないと思います。自分を過大に評価せず、ありのままの自分で生きることができれば、他者との関係をそう悩まずともよくなるかもしれません。自分は自分なのです。
自分に生きる。なかなか難しいことです。パウロは「神が各自に分け与えてくださった信仰の量り」。共同訳2018ではこの量りに「秤」という漢字が使われています。新共同訳では「神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて」。
神さまは、私たち一人ひとりに、信仰を与えていてくださり、賜物を与えていてくださる。神さまは私が誰かのように生きることをお望みではなく、私自身に生きることを望んでいてくださる。
イエスさまを信じる信仰に生きることとは、この自分自身に与えてくださっている、あるいはご期待くださっている神さまのみこころに生きることです。
それが「慎み深く考えること」です。原文のギリシャ語では「正気である」という意味をもつことばです。分を超えて、何者かになったかのような生き方は、正気の沙汰ではないのですね。