静まりの時
- テーマ:死に打ち勝つ
- 聖書箇所:ヘブル11・13~16
- 日付:2025年11月06日(木)
13 これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
14 そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。
15 もし彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。
16 しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。
イエスさまを信じる信仰に生きる、とは、「地上では旅人であり、寄留者であることを告白」することです。旅人である、寄留者である。新共同訳では、よそ者、仮住まいの者。共同訳2018では、よそ者、滞在者。フランシスコ会訳では、異邦人、旅人。バルバロ訳では、他国人。
旅人であり、寄留者である。その特徴は、約束のものを手に入れることはない、しかし、それ、すなわち約束のものを、はるか遠くに見て喜び迎えている。喜びの声を上げている。喜んでいる。旅人であり寄留者であることは、いつも天国を見上げて喜んでいる。天国こそ、私のまことの故郷であることを知っている。
このような人のことを神さまは恥となさらない。むしろ誇りとされる。地上でよい人生を歩むことも大切ですが、せっかく神さまが天の都を準備してくださっているのに、その天の都を喜ばないで、地上のことに終始しているならば、神さまとしてはがっかりではないか、と思います。もっと天の御国を喜ばなければなりません。
約束のもの。これをはるか遠くに見て喜んでいる。約束のものとは天の御国のことだといえます。しかしそれを手にすることがなかった、といいます。地上では手にすることがなかった、ということか。地上では手にすることの出来ないものである、ということか。手にすることができないで、ただ、はるか遠くに見て喜んでいるだけなのか。
はるか遠くに見て喜んでいるだけ、というならば、きっとこの天の御国の圧倒的なすばらしさを十分に分かっていないということかもしれません。今は手にすることできていない、しかし、いまそれをはるか遠くに見て喜んでいる。この喜びの確かさ。この喜びが生み出す日々。それは、圧倒的な喜びに満ちた日々なのです。