あなたは私をつかみ、思いのままにされました

静まりの時

  • テーマ:逆境にあって
  • 聖書箇所:エレミヤ20・7~13
  • 日付:2025年10月27日(月)

7 「主よ。あなたが私を惑わしたので、
 私はあなたに惑わされました。
 あなたは私をつかみ、思いのままにされました。
 私は一日中笑いものとなり、
 皆が私を嘲ります。

神さまに惑わされる。それで自分は惑わされた、とエレミヤは語りました。神さまが、惑わせる、というのは、にわかに受け入れがたい言葉ですが、真意は、神さまは私をつかみ、思いのままにされた、ということで、自分に対する神さまの圧倒的な支配力を語ろうとしているのだと思います。
神さまの圧倒的な支配力とは、この場合、みことばを語る、ということです。みことばを語れば語るほど、人びとから物笑いとなる、あざけりの対象となる。しかし語らずにはおれない。語らないと、主のことばが私の心のうちで、そして骨の中に閉じ込められ、燃え盛る人のようになり、耐えられないのです。

みことばを語る、ということの辛さ、を牧師は知っています。牧師なら知っています。この辛さが分からないと、説教が自分の主張を得意になって語るようなこと、になってしまいます。

この個所は、新共同訳では面白い翻訳をしています。

(7節) 主よ、あなたがわたしを惑わし わたしは惑わされて あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。・・・(9節) 主の名を口にすまい もうその名によって語るまい、と思っても 主の言葉は、わたしの心の中 骨の中に閉じ込められて 火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして わたしは疲れ果てました。わたしの負けです。

神さまの勝ち、そして私の負け。これが説教者の大切な条件なのだと思います。

13 主に向かって歌い、主をほめたたえよ。
 主が貧しい者のいのちを、
 悪を行う者どもの手から救い出されたからだ。

苦しみと呪いのような言葉が続く中に、不思議に神さまへの賛美のことばが語られます。この個所は一段下がって書かれていますので詩文です。礼拝のことば、賛美歌の歌詞、と考えてよいのだと思います。ともに礼拝をささげ、そこで苦しみを語り、時に呪いを語る。そして賛美を歌う。そうして新しい力をいただく。共同体における礼拝は、新しい力の源泉です。


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