静まりの時
- テーマ:とりなしの祈り
- 聖書箇所:ルカ22・31~32
- 日付:2025年10月20日(月)
31 シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
「あなたがた」すなわち弟子たちを、サタンは麦のようにふるいにかける、サタンはそのことを願って聞き届けられた、と主は言われました。いったい誰にサタンは願ったのか。サタンは自分勝手にことをなすことができないのか。お伺いを立てなければ何もすることができない。それがサタンであると主は言われました。ここでお伺いを立てている相手は、神さまご自身だと思います。サタンは神さまのお許しなくして何もすることができないのです。私たちはサタンを恐れる必要はありません。
麦のようにふるいにかける。収穫された麦は脱穀され、ふるいにかけられます。脱穀された麦を、み、で飛ばし、そこに風が吹くと、中身のない軽い麦は飛ばされ、中身のある重たい麦は、再び、み、に落ちる。そうして選別されるのです。(「み」→唐箕、箕)
中身のない、すなわち信仰のない弟子は、試練の風に飛ばされてしまいます。しかし中身のある、すなわち信仰のある弟子は、飛ばされません。
シモンは、そして弟子たちは、中身があったのか?
十字架に向かわれるイエスさまをまえに弟子たちはみな逃げてしまいました。シモン(ペテロ)などは、わざわざついて行きつつ、明確に、主を否定しました。彼らには中身、すなわち信仰がなかったのです。
では、飛ばされて終わったのか?
シモンも弟子たちも、「立ち直り」ました。なぜ立ち直ることができたのか。ここに主が祈ってくださった、と書かれています。主は祈ってくださったのです。その祈りは今日生きる私たちのためにも献げられています。主が祈っていてくださる。その祈りが、私の信仰を支えています。
兄弟たちを力づけてやりなさい。兄弟姉妹を力づける、ということは、そう簡単なことではありません。力づけようとしてかえって、がっかりさせてしまうことが多いのです。
力づける、ということの前提に、立ち直る、ということがあり、立ち直る、ということの前提には、自らの力による信仰に絶望する、ということが必要です。自らの力による信仰に絶望しなければ、立ち直るということがなく、よって兄弟姉妹を力づける、ということが不可能です。兄弟姉妹をがっかりさせてしまうのは、自らに絶望していない中で「力づけ」がなされるからではないか、と思います。