わたしは、諸国の民の唇を変えて清くする

静まりの時

  • テーマ:主にあって一つとなる
  • 聖書箇所:ゼパニヤ3・8~10
  • 日付:2025年10月18日(土)

8 それゆえ、わたしを待て。
 ──主のことば──
 わたしが証人として立つ日を待て。
 わたしは諸国の民を集め、
 もろもろの王国をかき集め、
 わたしの激しい憤りと燃える怒りを
 ことごとく彼らに注いで、
 わたしのさばきを下すからだ。
 全地は、わたしのねたみの火で
 焼き尽くされる。 
9 そのとき、わたしは
 諸国の民の唇を変えて清くする。
 彼らはみな主の御名を呼び求め、
 一つになって主に仕える。 
10 クシュの川の向こうから、
 わたしに願い事をする者、
 わたしに散らされた者たちが
 わたしへの贈り物を携えて来る。

主を待つ。はやる心を抑えて、主が来られるのを待つ。主が御業をなしてくださるのを待つ。その日、主が証人として立ってくださり、どのような権力者に対しても、彼らをかき集め、御自身の激しい憤り、燃える怒りを注がれる。さばきをなしてくださる。主のさばきとは、主のねたみの火、熱情の火によって全地が焼き尽くされることである。

主のさばきが行われると、「諸国の民の唇」が変えられて「清くされる」。清くされた唇は、「主の御名を呼び求める」。一つになって主に仕える。

世界が一つになって主に仕える。それは世界が一つになって、互いに自らを王とすることなく平和に暮らす世界が実現する。そう聖書は語るのだと思います。

神さまを王とする、ということは、自分を王としない、ということなのだと思います。自分を王としない、ということが、本当の自分を生きる道を拓き、真実に自分のいのちを大切にすることができるのです。
自分を王としない、ということは、人間を王としない、ということです。どんなに力のある者でも、どんなに魅力的な存在であっても、それらを王としない。王はただおひとり、この天と地の創造者であり、私を愛するがゆえに自らのいのちを十字架に磔にするほどの愛をお持ちのお方。そのお方を王とすることです。
それが、清められる、ということなのです。そしてそれが救われるということであり、救われた者の新しい生き方なのです。


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